住み分け

学校にスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーなどが配属されることで、教育現場は仕事の住み分けがされています。いわゆる「問題」のある子が、そう言ったスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーに相談しにいくのです。


しかし、それで良いのでしょうか。教師のベースにはそもそもカウンセラーやソーシャルワーカーのマインドが備わっていないとまずいのではないでしょうか。

私の中では、「生徒に問題がある」という認識が違います。問題は社会にあります。みんな、知ってるはずです。社会にこれだけ沢山の問題があるにも関わらず、子どもたちには「社会にあわせろ」と指導しているのです。

生徒を今の社会にフィットさせるのが教育の目的でした。
でも、社会に問題があるのだから、フィットさせる方が酷ではないでしょうか。
未来のある子どもに希望を持たせてあげたいです。

自分も成長したい

ある人の意見です。

"授業は目的云々よりも、教員のパーソナルファクターの方が大きい。生徒は人を見ている。"

確かにそうです。だから、教師こそ学ばなければ。教師が自ら学びのサイクルを回していかなければ。


教師は完成品ではありません。そもそも完璧な人はいない。みんな不完全。

だから学び続ける。成長したいと思うのだと思います。

そんな教師の姿を生徒がどこかで感じて、学んでくれればいいと思うのです。


すると、生徒の上に立って知識をひけらかしたり、偉そうにしたりするのではなく、生徒のおかげで教師も学び、成長しているんだということを認められるようにならないだろうか。そして将来に前向きに、希望が持てるような教室、学校ついて共に考えていける関係。


「生徒にとって分かりやすい授業とは何か」を考えているうちは、方法で終わってしまう。

「ここにいる生徒は10年後20年後どう生きているだろうか」

「今の生徒達が活躍する未来はどんな社会になっているだろうか」

「今生徒は成長しているのか」

と考えている。



我武者羅

若いうちは我武者羅に何でもやる

たしかに2年くらいはなんでもやっていた気がします。でも、いまは大分削ぎ落としました。


ビジョンが見えたのが大きいかもしれません。でも、おそらく何考えているか理解してもらえないと思います。

昔は「生徒のためにやる」というよりは、「やりたいからやる」が主な原動力でした。


これまでも高校教育はそれで成り立っていた部分も大きかったと思います。

しかし、本当に「生徒のため」と思ったら、これまでのやり方ではまずいのだと思います。本当に大切なことは何かをもっと体験的にわかるような学校にならないだろうか。今の日本社会がおかしいと思うのであれば、教育から変えていけばいいと思うのだけど。


コルトハーヘンのALACTモデルはそんな今の日本に必要なリフレクションのスキルだと思います。

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大学入試が変わるまでの間…?

大学入試が変わるのは、現在の中学1年生が、大学受験をする頃です(2020年)。

「大学入試が変わるまでの間はどうしたらいいのか」

という質問があります。
つまり、
「大学入試が変わるまで、アクティブ・ラーニングはやらなくて良いのでは?」
「今の大学入試はアクティブ・ラーニングでは対応できない、子どもたちがかわいそうだ」
などの意見です。

結論から言えば、アクティブ・ラーニングは今すぐにでも始めるべきだと思います。
理由は、日本が抱えている問題、文科省が打ち出した方針をちゃんと理解している大学は、大学入試が変わる前に、大学内の授業や入試を変えてくる可能性が高いからです。
「入試が変わらない大学もある」
もちろんあるでしょう。しかし、大学入試をクリアすることだけを目的に、教え込みをしても、おそらく大学の授業についていけないと思います。というか、このままでは大学も潰れます。

もう一つの理由は、たとえ今の大学入試であったとしても、アクティブ・ラーニングの方が伸びるからです。大切なのは考え方です。チームです。そして、探究心だと思います。分かりやすく教えてもらった方が「一部の生徒」にとって「知識の習得」の効率は上がるかもしれませんが、主体的な学習は期待出来ないし、分かりやすく教えることに慣れてしまっている生徒は、分かりやすい説明の枠組みを飛び越えることはできない。受け身の姿勢が育つ一方のように感じます。というか、既にそのようになってしまっているのではないでしょうか。

しかし、アクティブ・ラーニングをするためには教員の力も必要です。それは教える能力ではなく、日々考え、教科の本質を見極め、学習指導要領と照らし合わせながら、それを学ぶ目的と単元ごとの目標を提示し、適切な評価をする力です。これは、簡単そうで実は難しいことだと思います。なぜなら、これらは知識量やテクニックで何とかなるものではなく、根底にある考え方が大切になってくるからです。



枠からはみ出ること

 生徒が教員の与えた枠組みを飛び越え、想像もしないようなことをする。

これが許せるかどうか。

これからの教師の在り方とは

『学び合い』フォーラムin東京から2ヶ月が経ちました。総括をしようと思いながら出来ず、何かを語ることにやや臆病になっていました。
ぼちぼちゆるーく、ブログを再開します。と言いながら、長文失礼します。笑

「『学び合い』から考えよう、これからの教師の在り方」

というテーマは皆さんにどれほどのきっかけを与えられたのでしょうか。教師の在り方に正解はないと思いますが、Facebookでシェアされていた岩瀬直樹先生のブログから、ふと考えをまとめてみようという気になったので、ここに記します。

まず、岩瀬先生のブログhttp://iwasen.hatenablog.com/entry/20131221/p2から一部を引用させて頂きます。

″日々の学校生活には、どのような価値があるのか。私たちの暮らしや社会、世界、そして私たちの生きてゆく未来にどうつながっているのか。日々の授業の価値を,ボクたちはもう一度、検討し、子ども達にインストラクションで共有する。このことがこれからますます大切になっていくと感じています。
(引用終わり)

価値を語る。語れるためには、語る側がしっかり学校に通う価値を学び、考え、自分のものにしなければならないでしょう。
ブログの最後には語りの一部が紹介されています。とても参考になります。

わたしたちは、人とかかわりあって生きています。クラスやクラブ、習い事、いつも遊ぶ友達、家族などなど。いろんなチームに所属しています。社会も一つのチームです。クラスも一つのチームです。4月に新しいクラスがスタートしてから、わたしたちは、みんなで世界一のクラスを目指してドキドキワクワクのチャレンジを積み重ねてきました。頂上はみえてきたかな?
 
一人一人は違う。違うからこそ、おたがいの「強み」を生かし合って、チームワークを大切にして、みんなで成長してきました。ボクもみんなと一緒に成長してきました。クラスでのドキドキワクワクのチャレンジを通して、一人一人が「自立した人」に成長してきています。ボクはそのことがとてもうれしいです。
 
このクラスというチームの中で、ボクたち一人一人が「自立した人」に成長していく。そうすれば、このクラスを離れても、「自立したわたし」として、次の場所で、最高のチームをつくれる。そうなると、このクラスの幸せがどんどん広がっていきます。
 
このクラスでできたことが、次の学年に広がり、学校に広がり、社会に広がり、もしかしたら世界に広がっていくのかもしれません。
 
そう、一人の行動からボク達のまわりの世界はかわりはじめるのです。
   
クラスの一人ひとりが成長し続けるには、このクラスが「みんなが安心していられるクラス」になる必要があります。安心できるから、チャレンジできる。チャレンジして失敗しても誰にもバカにされない、誰かがサポートしてくれる、応援してくれている。そう思えるから一人ひとりが、「リスクテイカー」になって、チャレンジし、そして成長し、「自立」していけます。
 
昨日、友達の力を借りてできたことは、今日一人でできる。励ましてくれる友達、応援してくれる友達がいれば、ボクたちは新たなことにチャレンジすることができ、できることが増えていきます。
     
ボク達は何度もそのことを実感してきました。そんなクラスになるためには、「自分も相手も、お互いを最大限尊重(しあう。大切にしあう)ことが大切。まずこのことを30人で約束しましょう。難しい言葉で「フルバリュー・コントラクト」といいます。ボクたちはできてきているよね。
 
ところで「みんなが安心していられるクラス」「いごこちのいいクラス」は、だれが作るのでしょうか?
 先生?だれか?
 そう、「自分たち」がつくるのです。
 ボクたち一人ひとりがつくるのです。
 
 自分たちが安心できるクラスをつくるために。
 クラス目標を達成するために。
 いや、ボクたちはもう高学年だから、クラスだけではないよね。
 自分たちが安心できる学年をつくるために。
 自分たちが安心できる学校をつくるために。
 自分たちが安心できる社会をつくるために。
 
・自分にできること(こんなことをすればきっと相手は自分が大事にされていると感じるのではないか)
・友達にしてほしいことはなんですか?
 
クラスのために。学校のために。社会のために。「自分たちのために、自分たちがつくる、自分たちの規範」をつくりましょう。そしてそれを,一緒に大切に育てていきましょう!このクラスのオーナーはボクたち一人ひとりです。
(引用終わり)


このような語りは、真似をしても子どもには伝わりませんね。本気で思っていないことは、普段の教員の在り方で見破られます。
語りを自分のものにするには、語る側が学ぶこと。自分のものに中々ならないとしても、考え始め、それが続いていくだけでも大きな進歩ではないでしょうか。 

このように話ができるのは、岩瀬先生が本気で教育を考え、社会を変えようとしているからだと思います。

教師という仕事は、未来の社会に何らかの影響を与えるとても大切なもの。責任は重大です。それは、もはやただ知識を伝達する仕事ではないわけです。知識の伝達は教師でなくても出来る時代になってしまいましたから。(気付かなかっただけで、とっくの昔にそんな時代になっていました)

『学び合い』を否定される方の一部には「教師はいらなくなるじゃないか」という意見もあります。それは、まさに教師が「知識の伝達者」であるという認識によるものなのだと思います。

教師という大人が、他の大人と何が違うのかを考えました。
一つ挙げられるのは、「学校」という特別な環境にいることです。当然ですけど。笑
子どもがあれほど大勢同じ建物に存在する環境に、教師という大人はいます。現場にいるからこそ、目の前の子どもを見て、社会を見て、「何が必要か」を人よりも考えるチャンスと時間がある。これは、他の大人にはないものです。

そして、教師は大勢の子どもの前で、語ることが出来る。良くも悪くも。教育においても教師という人が関わる限り、価値観は伴います。これは、考えれば恐ろしいことかもしれません。子どもにとって、どのような教師に出会えるかは運次第だからです。どのような価値観に触れるかは偶然によるわけです。

教師は他の大人と生きている環境がこのように異なります。
このような中で、教師として持つべき価値観があるのだと岩瀬先生のブログを見て思いました。それは、「学校の存在価値」「学ぶことの価値」です。教師は「なぜ学ぶのか」「なぜ学校があるのか」を語れなければならないのだと思います。答えは様々でいいと思います。大切なのは、それらの価値観が教師の中に存在するかどうかです。
これで、教師は今の学校に必要だと言えるのだと思います。

「学校で学んだことの大切さは、大人になって、社会に出てから気付く。だから、学生のうちは分からなくていいんだ」
と言う人がいます。私も社会に出て様々な大切なことに気付きました。しかし、本当にそんなものでいいのかと思います。学生のうちから気付くことはできないのでしょうか。大切だから学ぶ、必要だから学ぶ。順番が逆ではないでしょうか。
社会をよく知らない子どもたちを大人が作った「社会のあり方」に無理矢理はめ込む。もっともっと大切なことはなおざりにして。これに耐えられない子どもが見捨てられてきたのではないでしょうか?
今まではそれでなんとか回ってきたのかもしれません。でも、本質的な問題の解決は先送りにされてきました。子どもたちは今の社会を肌で感じる間も無く、問題を押し付けられているのです。ひたすら負のスパイラルが回り続け、本質的解決はいつまでも出来なさそうです。それどころか、高齢化がより深刻になっている日本では、手遅れになってしまうかもしれません。

現状の社会ありき、学校ありきで、そこに子どもをはめ込んでいくのはもう終わりにしたい。
まずは子どもありき、人ありきで、これからどんな社会をつくっていこうか、一緒に考えていきたい。

ヒト(ホモ・サピエンス)という生物が生まれながらにもつ生き様に、「すべての人の生存と幸せ」を加える。教育はこのためにあると考えます。

教師の仕事は未来を創る仕事です。子どもを育て上げるのではなく、すべての子どもがそして全人類が一生涯幸せに生きていける社会。20年、30年…100年、200年後の幸せな社会をつくるのは学校なのだと思います。(もう学校なくなってるかもしれませんけど)

教師は人の鑑なんてウソです。偉くもなんともない。常に不完全。常に学び、考えている。子どもたちにそのことを打ち明けても良いのだと思います。

それができたら、頭の中は「要らぬ悩み」から、「必要な思考」に変わるかもしれません。


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