日常にないものをいかに承認できるか

昨日アップしました記事
を読んでくださった方から、以下のご指摘をいただきました。
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例題2 男がスカートをはいたり、化粧したりしたら変なのに、女は普通なの?
これは例題としてそぐわないと感じました。今のヒトの社会では「外見で性別が特定されてはいけない」であったり、「不一致があっても変ではない」という事も考えていかなければならないのではと思ったわけです。ジェンダーフリーはいま多くのニュースで報じられているだけに一層の配慮が必要だと感じメールしました。この辺りどうお考えでしょうか?」
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ありがとうございます。大変ありがたい指摘です。
もしかしたら、同じことを思われた方もいるのではないでしょうか。
確かに気を付けなければならない部分ですね。私も安易だったかもしれません。

私としては、そのような指摘が議論を深めるものと考えます。この指摘によって、この例題を引っ込めるつもりはありません。むしろ問題としっかり向き合う必要があると思いました。

これ以外の設問にもギリギリのラインの問題はありました。「頭の良さと遺伝」とか「人種による身体能力の差」「いじめはなぜ起きる」「ルールはなぜ守らなければいけない」「仕事の出来に関わらず同じ給料」などなど。もしかしたら、めちゃくちゃ叩かれるのでは?とも思いましたが、生徒だけではなく、皆さんにも考えてもらう必要は十分にあると思います。これらの問いが社会にある様々な問題の本質に迫るものだと思ったのです。

何か指摘があった時、最も多い対応が「引っ込める」ことです。問題の先送りです。これを繰り返した結果、今学校はピンチになっていると思います。波風が立たぬように細心の注意をし、平穏な教師生活を送る。これでは、子どもは成長しないのではないかと思います。

因みに私の授業では、大体そのようなギリギリの問いを生徒にぶつけます。生徒も本気でかかってきます。

今回の考察の答案返却をしていく中でも生徒との対話からどんどん議論が深まっています。「一般的ってどこから?」とか、「頭が良いって何?」とか。
ジェンダーも同じだと思います。「変」は使っていくうちに変じゃなくなると。「日常にないから変だ」と思うのは私は本質だと思っていて、「その日常にないものをあなたはいかに承認できるか」というのが大事なのだと思います。

ちなみに、例題も生徒が考えたもの。子どもの疑問の中には、大人が忘れてしまっている人が生きるための本質が詰まっているように感じます。大人は常識を知っていますからね。

ということで、私の例題はかなり批判的な見方もあると思いますが、そこから前進するためのとてもありがたいお言葉をいただきました。
みなさんはどう思いますか?
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