音は去ってゆく

無機質な音は聞くのも苦痛です。眠気を誘います。

教員の研修会や会議だって寝ている人はいます。国会議員だって居眠りこいています。でも、眠くなってしまうのは仕方のないことです。ヒトのしくみがそうさせているのだから。それを怒ったって意味ないですね。本人が「大事」「必要」「面白い」などと心底思っていない限り無理と思った方がいい。

何を言ってるかさっぱりな先生の授業を受けている生徒も同じ思いなんだろうな。寝ている子はとことん寝ます。これを、叩き起こしてもしょうがない。

今日はそれを体験しました。笑
大変勉強になりました。

文字情報や様々な視覚的情報と違って、音情報は「一瞬」で過ぎ去っていきます。ちょっとでも気を抜くと、音情報は欠けますね。
また、音情報は向こうからやってきます。こちらがそれを受け取る体勢ができていないと結局何も感じない。体勢は出来ていても、基本的には受動的でしょう。聴覚的な情報って受け身でも勝手に入って来るわけですね。

それに対して、文字や視覚的情報は向こうからはやってきません。こちらが能動的にならないと、情報は入ってきません。

こちらから話を始めた瞬間に子どもたちは「受動的」になります。それが嫌な生徒は、「能動的」に話を聞きません。それは最近になってやっとわかったことです。その「能動的」な姿勢を僕は尊重するようにしました。

必要があれば「能動的」に、必要なことをやるだろう。と信じています。むしろ、それが最も生徒のためなると考えています。
だから、こちらから文字や視覚的情報だけを用意して、その「能動的」なベクトルがこちらに向いてくれることを待っています。

『学び合い』マインドってそんな感じ。

今日は大変いい勉強をしたと思います。