手の内を見せる

 このホームページを見てくれている生徒がいることを知りました。しかも全部読んだと。驚きです。

「おもしろいからまた何か書いてね」って。読んでくれる人がいると嬉しいし、よりモチベーションが上がります。


 このホームページは私にとって一つのチャレンジです。教育をもっとオープンに。手の内を見せないという教員の基本的な仕事観を自分自身はどこまで変えることができるのか。生徒が見ても、一般の人が見ても何の違和感もないオープンな場所。それは、より沢山の人に見てもらうことで磨きがかかると思っています。さらけ出すことは武器を捨てることなのかもしれません。自分はこんなことを考えているよ、だから大丈夫だよ、安心してね。そして、あなたを信じていますよ。というメッセージが暗にに放たれているのかなと思います。

 これもすべて『学び合い』の考え方です。

 子どもたちは有能なんです。こちらが弱いところを見せれば支えてくれる。任せれば失敗しながらどんどん学んでいくんです。必要があれば、必要な人とつながれるんです。それを信じて見守るのが教員。大人。そこに手を出してしまったら、成長の芽を摘んでしまう結果になると思いませんか?

 様々な授業の方法やテクニックがありますが、それは生徒に使うのではなく、そのことが書かれた本を生徒に渡してしまえばいいんです。究極は『学び合い』の本を生徒に渡してしまう。読む人は読みます。「先生ってこんなこと考えて授業やっているのか」とか「先生もこんな悩みをもっているんだな」とか同じ人として共感してくれるかもしれません。

 逆に、先生らしくすればするほど、お互いが苦しくなる。上に立とうとすれば、弱いところを隠そうとし、結局弱いところが見えた時そこに漬け込む子が出てくる。考えてみれば、教員のように指導をする人が同僚である友達だったら嫌でしょう。なんで反発するのかと言えば、自分にとって嫌なことをされるからです。だったら、教員は指導なんてしなければいい。そのかわり、普段指導しているようなことが守れないことで、自分にとって損なことが起きることを体験して貰えばいい。周りと折り合いをつけながら、損得を知ればいい。教員はその価値を伝えればいい。それは教育の原点なのではないでしょうか。

 『学び合い』はそう言った意味で、授業だけでなく、生活指導、クラス運営、部活動運営などあらゆるものに使うことのできる考え方だと思います。大人の生き方を学校でも体験させたらいいんです。「子どもには発達段階がというものがある」「みんながみんなそんなことできない」という意見もあります。一人ひとりを見たらそうなのかもしれませんが、教員1人が40人の子ども一人ひとり面倒を見てそのように育てられるわけがありません。子ども集団を見くびってはいけない。とにかく本気で子ども信じる。手の内を見せることで暗にそれが感じてもらえたらいいですね。