僕ら教員は、生徒と接している時しか生徒を見ることは出来ません。それ以外で何をしているかなど分かるはずがありません。
徹底管理教育をすると子どもたちが変わるような錯覚をしてしまう。確かに変わりますね。「先生の前」だけ。そんな例がたくさんあります。
例えば遅刻。 遅刻癖が治らない子がいる。何回か遅刻すると、指導して反省させる。「明日から遅刻しません」という誓いを立てる。
翌日…遅刻しなかった。
次の日…遅刻した。
何で治らないのだろう。では、ある期間だけ、遅刻したらその都度指導をするようにしよう。
ある期間は遅刻の数が減った。
ある期間が終わった…途端に再び遅刻が増えた。
先生はどこまで子どもたちを管理できるのか。こんなこと思い始めたらキリがありません。
管理は極力しない方が良いと考えます。
クラスの掃除当番を徹底管理する場合、管理している間は何とか掃除をさせることが出来るかもしれませんが、管理をやめると途端にサボりだします。
サボるからやっぱり管理が必要だ。でも、管理しきれないことだってある。すると、ちゃんとやっている生徒が「◯◯がサボった。不公平だ」と言い出す。「先生が言わないから」となる。
このようになってしまう原因は全て教員が作っていると言えませんか?
僕はクラスの掃除当番やゴミ捨ては、一切管理しません。「後はよろしく」と任せてしまいます。
そんなことしたらサボる人がいるのでは?
と言われそうです。実態は分かりませんが、今のところ不満の声はありません。もしかしたらサボっている子がいるかもしれない。でも、僕は信じ続けます。
もし、ある生徒に「先生◯◯がサボりました」と言われたら。
「それは酷いね。今度厳しく言ってやり直しさせるから」
とは言いません。
「そうか。それって、君たちで解決できるかな?」
と言います。
私たちの生徒に対する評価は、生徒と接しているときのほんの「一部分」にすぎません。
先生に反発する生徒は「先生」がいるから反発するのかもしれません。
先生がそれを抑えたら、その感情はどこに逃げるのでしょうか。家庭でしょうか。これでもし、「先生ー保護者」がタッグを組んだら…
あの閉じた空間の中で。恐ろしいです。