過去の自分への反論1

過去の自分 その1 自分の受けてきた教育に基づいて教育をしている。
→【反論】あくまで自分にその教育がマッチしたというだけで、それが目の前の生徒にマッチするとは限りません。感じ方は人それぞれですから。おそらく、昔からマッチする人としない人がいて、マッチした人が先生やっているのではないかと思います。マッチしなかった人で先生やっている人を知っていますが、かなり例外でしょう。どんなに自分がわかりやすい授業を考えても、それで「全員」が理解できることはまずあり得えません。
最近は教師の専門性を考えるようになりました。教師は決して「自分の経験から得られたもの」だけでできるものではないと考えます。人の生き方を左右するくらい重たい仕事です。医者と同じくらい重たいです。自分の経験だけで教師をすることは、医者に例えれば、ぶっつけ本番で外科手術をするようなものだと思います。医者が患者を見ながら病気の研究をするように、教師も子どもたちを見ながら教育を研究しなければ。ゼロから始める必要はありません。教育学の研究にも膨大な蓄積があります。しかし、そこから得られた理論が実践に活かされることはあまりありませんでした。以前自分が悩んでいたことも、実はとっくの昔に研究されていた可能性があります。私も大学で真面目に教育学を学んだわけではありませんでした。むしろ、教育学をバカにしていました。愚かでした。今はそのようには思いません。教師に必要な資質とは何か。どんな能力が必要か。そんなことを真面目に考えるようになりました。
時代の変化はとにかく速いし、生徒たちの様子だって変わっています。その中で、目の前の生徒にできる最善のことを「ゼロ」から考えてみる。『学び合い』を知ったときはとにかく「正論だけどねぇ…」と思っていましたが、現場の様子と『学び合い』の理論を照らし合わせていったときに、生徒たちの苦しい姿に共感を覚えるようになりました。先生の言うことを鵜呑みにする「従順な生徒」が増えているように感じるのは気のせいでしょうか。私はここ2、3年で自分自信が「従順な生徒」の延長であることに気付きました。そこから大きく変わりました。だから、こうやって発信できるのだと思います。もちろん、これで終わるわけではなく、常に「学び続ける」ことを怠らないようにします。

うまくまとまりませんでしたが…まずはこんな感じで。乱文失礼しました。