過去の自分への反論2

過去の自分 その2 教員は小中高生時代にそこそこ勉強ができた人の集まりであることを自覚していない。
→【反論】教員免許を持っている人のほとんどは大学を卒業した人であることを忘れてはならないと思います。そして、多くは大学の学費や生活費を親にまかなってもらった人ではないでしょうか。私は私立の高校を卒業し、卒業後1年間東京の予備校で浪人時代を送りました。自分にかかったお金たるや相当額だと思います。明らかに恵まれていました。
大学を卒業すること自体がステータスになる。そんなことが自分の中で当たり前になって、私は暗に「みんな大学に進学して欲しい」と願ってしまっていた。非常に愚かでした。

同じようなことが部活動やアルバイトにも言えます。
私は中学、高校と部活動をやっていました。大変お金がかかりました。しかし、その当時はお金のことなど考えたこともなかった。部活動がやりたくても出来ない人もいる。でも、「部活動はみんなやるべきだ」と思っていました。すべて、自分がやってきたことを生徒に求めようとした結果です。
逆にアルバイトはやっていませんでした。学校で禁止されていたこと以前に、毎日部活動でアルバイトなんて考えたこともありませんでした。高校生でアルバイトをすると学力が低下するという話はよく出てきます。学力だけを切り取って考えると「アルバイトはするべきではない」という考えになるわけです。では、その人の生活はどうなるのか。毎日のようにアルバイトをして、自分でお金を貯めて様々な事をやりくりしている生徒がいます。遊ぶためのお金だけではない、生活にかかるお金も自分でまかなっています。自分の稼いだお金で生きています。私が高校のときに経験していなかったことをすでに経験し、非常にたくましく生きていると思うのです。
教員に多様性はあるのでしょうか。教員はこれまで「良い」とされてきたことを忠実にこなしてきた集団の可能性が高いです。そして、その集団から受ける教育はいつまでも連鎖的に続いていくのだと思います。負の連鎖はここにもありました。
これを社会問題と言わずに何と言うのでしょうか。

私の役割は以上のことから「社会全体の負の連鎖を断ち切ること」とどんな状況下に置かれても逆境を跳ね返し、幸せを感じられるように「生徒の幸せの感受性を高めること」だと考えています。