過去の自分への反論4

過去の自分 その4 教育学の理論が役に立たないと思っている。


→【反論】ここのところ自分のブログは「『学び合い』で自分がこんなに変わった!」みたいな、よくある怪しい通販とか布教活動みたいにとられそうな記事ですが、あながち間違っていないかも(笑)でも、本当だからしょうがないですよね。別に『学び合い』じゃなくてもいいと思います。私はたまたま『学び合い』だったというだけで。最近になって同じような気持ちをもっている方が結構周りいらっしゃることもわかりました。そのような人との出会いは大きいですね。人とつながるといいことが沢山あります。

 さて本題です。教育現場で理論と実践が乖離していることは良く知られていると思いますが(?)、そもそも、教育の理論なんてことを考えたこともありませんでした。でも、教育学にも長い歴史があって、沢山の研究の蓄積があるはずなのです。教員がその膨大な研究の蓄積を自分の中で解釈して実践に落としていくには時間が足りません。『学び合い』によってその膨大な研究から得られた理論の「いいとこどり」をさせてもらっていると私は思っています。哲学や理論は使えるものであるということがようやく分かるようになってきました。だから、いろいろな本を読むようになったし、発信もできるようになりました。ここ2、3年の話です。

 私は教育学部出身ですけど、恥ずかしながら教育の理論を良く知りませんでした。もともと、分子生物学を勉強したくて入った大学で、卒論も分子生物学の内容でした。もちろん教員免許を取るために、教職関係の単位は取りましたが、ほとんど中身を覚えていません。まともに授業を受けていなかった証拠ですね(笑)。私が卒論発表で見た理科教育の研究はどれも方法や実践についてで、
「こんな教材を作りました。実践でこの教材を使ったらこのような効果が現れました。」
「こんな意識調査アンケートしました。今の小学生にはこんな傾向があります。」
というものがほとんどでした。全くピンとこなかったことを覚えています。理科教育の人って何やってるの?って疑問に思いました。理論についての研究はあまりなされていなかったように思います。

 教員採用試験の教職教養もほとんど勉強しませんでした。今も教職教養の知識は無いに等しいです。今の学校に配属されてからは、とにかく自分の感覚だけで、授業、部活動、校務分掌などをがむしゃらにこなしてきました。自分の経験に基づいて「感覚的」にこなしてきました。それでも教員の仕事は何とかなってしまう。正に思考停止状態でした。教育の理論そのものを知らなかったし、役に立たない知識だと思っていたから学ぼうともしなかった。

 でも、それも壊すことができました。いきなり理論や哲学を学んだわけではありません。『学び合い』から徐々に広がり、深まっていったのです。自分でも驚きです。
 徐々に「「学ぶ」ってこういうことだったのか!」という自分の中での納得が生まれました。今自分自身「学ぶ」ことが楽しくて仕方がありません。いろいろ学びたい!でも時間がない!って状態。これって幸せなことです。
だから、生徒にもこれを伝えることができます。絶対に「勉強しろ」とは言いません。楽しくてやめられない「学び」を高校生に体験してもらいたいです。

 この間、授業見学に来てくださった先生に「勇気が湧いてきました!」と言っていただきました。私がこんな風に書くことで、いろいろ悩んでいる先生方の何かしら力になれればと思います。
最後に私が思う教員必読本を2冊紹介します。非常に大きな影響を受けた本です。
①苫野一徳「教育の力」(講談社現代新書)
②岡本茂樹「反省させると犯罪者になります」(新潮新書)
ぜひ読んでみてください。