「ルール」と「モラル」

 ルールはみんなが守らなければならないものなので、非常に分かりやすいものです。どんなにそのルールがおかしくても、存在する限り守らなければならないのがルールです。民主主義なら市民にそのルールを変える権利がある。あまりにもそのルールがおかしければルールを変えることが可能です。


何でもルールにしたがる人がいます。一方的に。「ルールは守らなければならない」と分かっている人にとって、それに従うことは簡単です。何も考えずに済むから。

しかし、そうやってルールで線引きをすればするほど、「自分で判断する力」が付かなかったり、「他者との折り合いのつけ方」が分からなくなったりしてしまうと危惧します。
極端な話、何でもルールで縛る世界にいたら、ペナルティが無くなったり、ルールそのものが無くなったりした時に、判断を誤ったり、平気で秩序を乱す人が増えてしまう気がするのです。つまり、境目のはっきりしないところで、自分の判断によって行動出来るような「モラル」は「ルール」がある事によって育まれにくくなってしまうと。

「ルール」は無機的で、「モラル」は有機的です。
ルールが多い世界は簡単でキレイに治まっているように見えますが、融通がきかなくて、窮屈で、感情のない世界かもしれません。
ルールが少なく、モラルによる世界は損得を含む人間関係で成り立ちます。

私の結論、ルールの大枠は必要だと思います。憲法や法律です。しかし、細かいルールに関しては、極力少ない方が良いのではないかと思います。 特に人間を育むべき教育現場においては。これが正しいとは限りませんが、今はそう思います。

昔の人はどう考えていたのでしょう。誰か教えてほしいです。