学問と集団


学問と集団は切り離せないものなのか。

勉強はしたくないけど友達に会いたいし、おしゃべりしてゲラゲラ笑いたい、楽しい時間を過ごしたい思って高校に来ている子がいたとして、その子は人間として何かいけないことをしたのだろうか?そのようなことは人として当然もつ欲求だと思うのです。

しかし、高校は義務教育ではありません。つまり、
学ばなければ進級も、卒業もできない…
でも、高校卒業の資格くらいは取りたい…
しかし、学ぶ目的がわからなくて、全く手に付かない…先生の話している言葉が違う国の言葉に聞こえる…

いやでも…しかし…と行ったり来たり。
そのような子から、学校という環境を取り上げたらどうなってしまうのだろう。取り上げて良い、悪いではなく本当に疑問に思うのです。

学校にいるときはツンツンしている生徒が、学校を出る(中途退学や卒業で)と、大体はすごく良い顔してる。すごく表情が柔らかくて、幸せそう。それまでの印象が嘘のようなのです。そんなのを目の当たりにしていると、本当に「学校って何なの?」って思ってしまいます。

勉強しなくていいとは言いません。しかし、極論ですが、勉強している内容は正直どうでもいい。それよりも、その子が今後どう生きていくのか。そんなことを考えてしまいます。

なるほど、ヤンキーが群がる理由がわかりました。勉強はしたくないけど、人とは繋がっていたい。ヒトが本能的に持っているものなのでしょうか。

学校は学問を学ぶところ。では、学問を学ぶことと人が群がることを切り離すことはできないのでしょうか。つまり、学問を学ばず、だた人が集まり、何か出来る場所はつくれないのでしょうか。
私はこれが「地域」なのだと思います。

今は昔よりも地域の存在が薄くなりつつあります。勉強したくない子どもも、学校の集団の中にいたい。だけど、辞めたら孤独になる…なんて言う不安を抱えています。

もっともっと学校は開かれるべきだと思います。そして、老若男女みんなで学べる時間や空間をつくるべきです。
学ぶことはもっと楽しいことのはずですから。